71回目の8月15日を迎えて~戦争の全体像を若い世代に伝えたい~
敗戦から71年目の8月15日を皆さまは、どのように迎えられましたでしょうか?私は、14日・15日と集会に参加しました。
◆武蔵野市と周辺に残る戦争遺跡の意味を考えたい
8月14日は、「武蔵野の空襲と戦争遺跡を記録する会」の講演会に参加。会場には、戦争体験世代の80代・90代の方も多数来場されていました。
副代表の牛田さんから講演がありましたが、冒頭に、戦争遺跡を保存しフィールドワークを重ねる意義を
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戦争を体験していない世代が総人口の90%に迫る中で、五感を働かせる身体性を伴い、追体験ができる
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と強調されました。
武蔵野市にはかつて中島飛行機武蔵製作所があったことから戦争末期に激しい空襲を受けました。最近、地下道のあとが緑町の都営公園拡張工事で見つかりました。
三鷹市の国際基督教大学内にも、中島飛行機製作所ゆかりの中島知久平氏の別荘の一部があります。
若い方たちに、戦争遺跡を通して、何のための戦争だったのか、工場で製造された零戦のエンジンは、どんな戦闘に使用されたのかを知っていただきたいと願っています。
◆平和遺族会全国連絡会の貴重な活動
8月15日は、平和遺族会全国連絡会の8・15集会に参加しました。東京に引っ越した1987年以来30年間ずっと参加し、平和への思いを新たにしています。
今年は戦争法が成立した状況を受け、野党4党の国会議員に参加をお願いし、「安保法制を発動させないとは、どういうことか?国会や市民にできることは何か?」とのテーマでシンポジウムが開催され、約100名の市民が集まりました。民進党から近藤昭一氏と小西洋之氏、共産党から畑野きみえ氏、社民党から福島みずほ氏が参加され、南スーダンへの自衛隊派遣・駆けつけ警護の危険性や安保法制の違憲性などが語られました。今後の市民と国会議員との共闘にも大きな意義があることを訴えられました。
ところで、皆さまは、「平和遺族会」をご存知でしょうか。私は30年来の会友です。日本遺族会と異なり、首相や閣僚の靖国神社参拝の中止を求める活動を、遺族の立場から一貫して続けてきました。私がお知り合いになった遺族の方も何人も亡くなりましたが、折に触れて伺った体験を思い出します。肉親を失った深い悲しみと苦悩の中で、会として加害責任を見つめ、平和への歩みを続けてきたことを大変貴重であると思います。
以下に、平和遺族会全国連絡会結成宣言の一部を掲載します。
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私たちは、愛する肉親をアジア・太平洋地域の戦場で失い、その悲しみを秘めて戦後を生きてきました。
(略)
しかし私たちは戦争の罪悪を痛感するにつれ、複雑な思いに包まれました。私たちの肉親を奪ったあの戦争は、アジアの国々の平和をおびやかし、民衆の生活を破壊し、2000万を上回る生命を奪った侵略戦争だったのです。私たちは、息子、夫、兄弟、父の死を「意義ある死」として自分自身を慰めることもできなかったのです。
(略)
私たちは、靖国神社「公式」参拝を絶対に認めることはできません。たとえ政府が、国民や戦没者遺族にとって追悼の中心的施設であると、根拠のない宣伝をしても、私たちは靖国神社と国家とが特別な結びつきをすることがどんなに危険な結果をもたらすかを知るに至ったからです。
今こそ、私たちは靖国神社「公式」参拝に反対するとともに、私たち戦没者遺族こそ、侵略戦争と軍国主義を憎み、国境や人種の差をこえ、わけへだてなく人々を愛し、平和をつくり出す思いを強く持たねばならないと信じます。この平和をつくり出そうとする思いこそ私たちの心からなる願いであり、戦没者遺族の原点であると確信します。
(略)
1986年 7月7日
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1945年8月15日に終わった戦争は紛れもない侵略戦争であったこと、加害と被害の実情に目を向けて、アジア・世界と日本の友好を築く努力をしていきたいと思います。