日本国憲法の理想は色あせない!~憲法施行70年、改めて存在価値を考えました~

国会では改憲に前向きな勢力が衆参両院で3分の2以上を占め、安倍首相も改憲を政治日程に上らせることに意欲を示しています。今年も憲法全文を読み返しました。

<前文>
いつも深く心惹かれるのは、前文の次の部分です。
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日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。(旧仮名遣いを変えています)
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繰り返し起きている戦争や武力による挑発、難民流出、移民への迫害、貧困や格差の拡大などが、多くの人々を苦しめている現代世界において、日本が国の進むべき方向を明確に示したこの文章は、本当にすばらしい。政治の目標として、みんなで共有しなければと思います。

<第二章 戦争の放棄>
第二章 戦争の放棄は、第9条だけで1章を構成しています。国民主権とともに、重要視していることが章立てでも明白です。戦争だけは絶対してはならない、これが制定当時の圧倒的多数の国民の声だったに違いありません。

<第三章 国民の権利及び義務>
第三章の国民の権利及び義務を読むとたくさんの自由が書き込まれ、戦前・戦中の権力による人権侵害に対して、これからは国民の権利を守る社会にしようとの断固たる決意が伝わってきます。
第24条「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、」と「のみ」を入れているのは、家長の意志などの合意以外の要素を退けるもので、いつ読んでも勇気づけられます。
第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」も「健康で文化的な」ということばが実に的確な表現です。生存権とは、単に息をしているということにとどまらない、人間としての生活のありようを規定したものであることが伝わります。
今日は、第36条の「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。」と他の条文と異なり「絶対に」が入っていることに気づき、当時の人々の拷問など絶対あってはならないとの切ない叫び・強い意志を痛感しました。

<憲法は、国家権力の失敗のリスト>
憲法学者の木村草太氏は、「憲法は過去の国家権力が繰り返してきた失敗のリスト」であると指摘していますが、その通りだと思います。独裁的権力が人々の自由を抑制し、人権侵害を行った、この失敗を繰り返さないために、憲法があるのだということは憲法のとりわけ第二章・第三章を読み返して理解できました。

<過半数による政治意志はときに過ちを犯す>
3年前の5月3日のブログにも引用しましたが、弁護士・伊藤真氏の著書にあった「過半数による政治意志はときに過ちを犯します。それはナポレオン帝政やナチスドイツに見られるように歴史の示すところです。不正確な情報やムードに流され、少数派の人権を侵害する恐れがあるのです。」も、かみしめなければならない指摘です。

憲法施行70年。憲法の理念は色あせていません。一方、憲法に書いていることが現実には実行されていない部分があります。また、あやうくなっている部分も出てきています。この憲法の条文を活かして現実を変えていくために、努力を続けたいと思います。