2011年、3・11から5年、変わったこと・変えなければならないこと

3・11から5年。今日地震の起きた午後2時46分には、多くの方が黙祷されたと思います。私も、事務所で黙祷しました。

5年前。私は、翌月の市議会選挙の準備のための活動をしていましたが、そのときは武蔵境駅南口の書店にいました。ただならぬ大きな揺れでお客の大半は外に出て、ロータリーには多くの市民が立ち尽くし、奇妙な静寂がありました。自宅に帰っても娘は都心にいて帰っておらず心配しましたが、友人の助けで翌日帰ってきて安堵しました。

その後。真っ黒い津波の映像に驚き、原発が危険な状況だと報じられ、何ができるのか、どうすればよいのか、考えがまとまりませんでした。子どもと一緒に西へ避難した友人もいました。被災地では、多くの警察官・消防団・自衛隊・自治体職員などの方が命を助けるために懸命な努力をされたことを報道で知りました。

募金活動をしたり、政府へ要望書を送ったりしましたが、学生時代から脱原発を訴えていたのに、間に合わなかった、力が足りなかったという事実はとても重いものでした。

それから5年。

私は、変わったことがあることを実感しています。あの震災で、原発事故で、多くの市民が、私たちの使っている電気は何によって生み出されているのか、この事故は何をもたらすのか、真剣に考え、市民活動や脱原発デモや選挙にも関心を持ち参加を始めました。若い母親たちから放射能汚染対策を求める声が寄せられ、勉強し、市に働きかけ、給食食材の検査機の購入を実現することができました。今、一緒に市民活動や行政への働きかけや山本太郎さんのボランティアを行っている仲間も、その多くがこの事故で、これまでの無関心ではいけないと気付き、活動を始めた方たちです。

震災と原発事故は大変な災害であり、今後決して起こしてはならないけれど、たくさんの市民の考えや行動が変わったことは、大きな力です。

一方。

政治は、どうでしょうか。民主党政権が、自公連立政権に変わり、今、原発再稼動を進め、原発事故避難者を切捨て意に沿わない福島への帰還を強制しています。政治家は、未曾有の人災から何も学んでいないのかと、憤りがあります。しかし、これまで原発推進だった政治家が、今は原発ゼロを訴えている例もあります。後退だけではないのです。

私は、福島を忘れない。だから、仲間と一緒に、原発事故避難者へのサポートを続けます。

そして、やはり、政治を変えなければいけないと思っています。これから再び事故を起こさないために、これ以上の環境汚染を防ぐために。原発ゼロへ!原発事故避難者の住まいと生活の安定こそ、復興の基本。あきらめずに行動を続けます。